Exp_003 普通の子ってなに?もしかして毒親?

不登校

普通の子への期待

不登校が増え始めてきた頃、
運動会の件あたりから
私は、もう無理矢理行かせるのは
やめよう。と思い、
行きたくなった時に行ったら?という
見守るスタンスに変えていた。

ミーテールーダーケー

そんな頃、
過去に私がいじめられていて
学校に行きたくないと言った時
私に、行きなさい!
逃げてたってしょうがないでしょ!

行かなくていいよと言ってはくれず、
いじめられても学校に行く!以外の
選択肢をくれなかった私の母が

なんで学校に行けないの?
普通は、みんな学校に行くんだよ!
サボってるだけでしょだの、
なんだので、
朝トイレから出てこない娘に
考えられないわよ!
理解できない!

責め立てていた。

泣いて部屋に閉じこもる、あめちゃん。

家にまで、あめちゃんの居場所が
なくなったら、もうダメだ!!と思い、

もう学校に行けってしつこく言わないで!
家にまで居場所がなくなっちゃう!
と言うと、

あんたが良いって言うならいいけど
イヤなことから逃げたって
仕方ないんだから!

あとで困るのは、あめちゃんだし
義務教育よ!

なんで普通の子たちみたいに
学校に行けないのかな?

あんたが、放っときすぎなのよ!
私がちゃんと管理してれば
こんなことには、ならなかったわね!
みたいな感じでした。

自分を振り返る

なんか自分の昔を思い出して
とても、いやな気持ちになりました。

私も最初は、あめちゃんを怒り
学校に行けーーー!と言っていた。

私が過去に言われていた
逃げ場もなく八方塞がりで
子どもはなんて無力なんだ。と思い
悲しんでいた
あの、イヤな責め方を
そのまま、あめちゃんにしていた。

時代的にも不登校はなかったし

自分軸など許されなかった私は、

給食の時間もハブられ
机をみんなとくっつけることなく
1人で前を向いて食べるという

屈辱と羞恥心という貴重な経験をしに、
渋々学校に行っていたけど、

意見をしっかり言える
あめちゃんは、
なんで行かなきゃ行けないの?
学校に行っても1人だし
何にも楽しくないし
行きたくなんかない!!

泣き叫んで訴えてきた。

なんで行かなきゃ行けないの?
私は、過去にその問に対して
親は怖いものだと教え込んで
有無を言わせなかったわよ!と
豪語する母に、なんでも!としか
言われなかった。

なんで行きたくもないのに
行かなきゃ行けないの?
と、
ちゃんと親を恐れずに反論して
自分の意見を言える、あめちゃんを
うちの子って勇気があって
すごい子だなー!!って
ほんとそうだよね!って思った。

自分の心を守るために自分の意見を
ちゃんと言えるって、
私には出来なかったことだし、
私もその問いに対してはずっと
なんで?って思ってきたから、
そうだよね。
心を壊してまで、無理して
行かなきゃ行けない理由なんか
絶対にないよね。


私が自分でも納得したから言えた。

もう受け入れる!

小さい頃に親を恐れて言えなかった
私の気持ちを
あめちゃんが言ってくれてる。

だから、わたしは
私が言って欲しかった言葉を言うね。

腹をくくる

ごめんね。
あめちゃんの気持ちより
私自身が、
なんか何に囚われてるか分からないけど
この世の中のシステムに
当てはめようとしてたよね。

義務教育というシステム
みんなと一緒が当たり前
みんなと一緒が普通の子
朝起きるのが当たり前
朝起きれるのが当たり前
勉強の理解度も努力次第

こんなくだらないことに
支配されていた。

子どもの頃は、
みんな一緒という風潮があった。

でも今の私はオリジナリティ全開で
全く普通じゃないし。

どう見たって、
一目で私だとわかるくらい
みんなと違うから

こんなくだらないことは、
私の人生において
重要視していないのに。

自分の子どもの事になると、
自分も窮屈だった、
この世の中の矛盾したシステムに
合わせようとするのかもしれない。

ていうか、それが
この日本の教育。
何十年も前から変わらない。

子育てしてたら、
近所にある学校に入れるのが
当たり前と思っちゃうよね。

子どもたちは
どんどん進化している。

新人類といっても良いくらい
柔軟な考えを持つ人種だよね。

昔ながらのシステムという
パズルのピースに
新しい形のピースを持った子どもを
無理やり合わせる方が、不自然だった。

そんなものに囚われるより

今大事なことは、

あめちゃんの心の回復。

居心地の良い居場所を作ること。

そして、うちの子は大丈夫!と

あめちゃんを信じること。

この3つを胸に、
長い不登校期間へ突入しました。

私の母は、

どうしたら学校へ行ってくれるか
ずっと悩んでいたようだが、

ある日、
不登校の体験を語った、しょこたんの
記事か何かを読んだらしく

あめちゃんは毎日、
こんな思いをしていたのかと思ったら
かわいそうで、悲しくなっちゃった。
とか何とかで、

もう無理に行けとは言わないわ。と、

やっと改心し始めた。が、

子どもたちを、私ではなく、
自分が小学生の頃から管理してたら
こうはならなかったという思いは
いまだに持っているだろう。

母と私の関係性

ここで浮かび上がってきた・・・

母は、
もしかしたら毒親だったのか?笑

私は30代になった今でも
母を怒らせないように。。。と
恐れ慄いていたが、
子どもたちは、
そんな、ばぁばに対しても、
きちんと自分の意見を言う。

イヤなものはイヤ。
うるさく言わないで!
とか
あんなに怖い母に物申してる。

ねぇ、2人とも。
いつもは、ばぁば明るいけどさ、
あの人怒らせたらマジ怖いのに
どうしてそんなに反論できるの?
キレさせないでよ!?
ほんとマジで怖いから!
と言っても

キレたら怖いのわかるけど、
大丈夫だよ!
と強気。

もしかして、子どもたちは
私が全然感じられなかった、
ばぁばの愛情が伝わっているのか?

孫には優しいのか?


やりとりに、
ハラハラしたりもした。

私は、いまだに
母の絵文字のないLINEや
敬語のLINEも怖い。

怒ってるのかな?と感じてしまう。

ご飯食べるの?という文章だけでも

あ、早く帰らなきゃ怒ってるのかも。と
感じてしまう。

別に怒られることなどしていないのに
怒られたことも、ここ十数年ないのに
もう30代だというのに、
いまだに湧き上がる
親は怖いものと教え込まされた
呪縛のような刷り込み。

ちょっと出かけてくるわ!というと、
またー??!
誰と、どこ行くの?と、聞かれる。

毎日出かけてるわけでもない。

玄関に結界を張り巡らされてるように、
家から出られない。

出る気持ちになれない。

またー??!と言われるのも、怖くて
機嫌を見て行こうかな。。。とか
思っちゃう、子持ち30代の私。

これを書き出して、
客観的に見るとやばいな。と
今、気づいた。

そしてついに、こないだ
出かけてくるわ!というと、
またーーー?!!と言われたので

あのさ、もう〇〇才なのよ!!
しかも、また?!って言うけど
全然出かけてもないし、
怒りながら言うのやめてよ!!

気持ちよく出かけさせてくれよ!

というと、

えー!怒ってないけど。
別に良いんだけどさ〜!
また〜?って思って〜
という。

もう子どもじゃないんだよ!
言い返した。

あめちゃんが守ってくれた

そして、
大きくなった、あめちゃんに
ママね、こないだばぁばに
もう〇〇才なんだから
やめてくれよ!!って
言い返したんだよ!

言ってやったんだ!!
と言ったら、

うん。
ばぁばに聞いたよ。
もう〇〇才なんだよ!!ってママに
言われたって、言ってたよ。


え!そうなの?

うん。
だから、別に良いんじゃない?
もう私たち大きくなって
放っておいたらどうにかなっちゃう
年齢じゃないんだしって言っといたよ。


何それ優しい、あめちゃん。

いつも私に厳しくて
いつも私にイライラしてた
あの、あめちゃんが
大好きなばぁばの味方じゃなくて
私の肩を持ってくれたことに
とっても感動しました。

ありがとーーーーー!!!泣泣泣

あめちゃんも大人になってる。

私は、やっと反抗期?笑

私って、闇だらけなんだな。

ブログを書き始めるまで
何も気づいていなかったことばかり。

そして、誤解があるといけないから
言っておくと、
私の母は、本当に家族第一優先で
孫ファーストで優しい人です。笑

買い物も一緒に行きますし、
いつも一緒にご飯も作っております。

私が過去の怖かった母の刷り込みに
いまだ囚われているだけなので
知らずに読んでる人は
意地悪バァさんを想像してるかなと
思ったので補足しました笑

そして、子どもたちのおかげで
私も過去の自分と向き合って
成長させられてるなと思います。

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